【展示】戦争の時代展~旧早良郡(現早良区南部・西区南部)~
戦争の時代展 ~旧早良郡南部(現早良区南部・西区南部)~
展示期間:令和7年6月1日(日)~6月28日(土)
会場:ともてらす早良1階 展示スペース・市民ギャラリー
アジア・太平洋戦争時代末期をしるす戦争の痕跡(遺跡)や、本、資料によって、戦争の時代の現実を復原。
『祈願』 『疎開』 『軍需企業』 『空襲』 『慰霊碑』 5つのテーマごとに分類。
早良区早良校区在住の首藤卓茂氏による展示です。
<プロローグ>
今回の戦争展は「ともてらす早良」の利用範囲である早良区南部・西区南部(国道202号線付近より南の地域)を対象とします。時期的には先のアジア・太平洋戦争時代末期(1944,1945・昭和19、20)の本土防衛や空襲が襲ってきた頃の戦争の痕跡(遺跡)、本・資料によって、その時代の現実をすこし復原しようとするものです。
この時期、福岡市域は軍都と呼ぶにふさわしいものでした。陸軍では西部軍司令部や代16方向軍司令部が本土決戦に対応する配備を熱くしていました。また行政では九州総監部、福岡軍需管理部や食料営団のような統制機関が九州地方をエリアとして配置されていました。その詳細については省きますが、福岡の軍隊について述べます。
福岡の軍隊といえば、福岡城内にあった陸軍第24連隊です。先の戦争では、後の慰霊碑でも触れますが、この連隊を母体につぎつぎに連隊が編成されて、戦場に出征していきました。この第24連隊の歩みや戦記などをまず展示します。
戦記は生々しい戦争の過酷さをえがいています。まだ眠っている手記や私家版も多いと思われます。これらの秘蔵された資料がこの展示を機会に世に出ることを願っています。
(展示者 首藤卓茂)
<5つのテーマ>
①祈願 荒平神社の兵役忌避祈願(証言)。
②疎開 脇山小学校に疎開した福岡師範学校女子部府遺族国民学校初等科高学年の児童、住民の縁故疎開に伴う国民学校生徒の急増についての証言。天皇皇后の写真の疎開についての証言。
③軍需企業 旧福岡工業の学校工場に動員された作家森崎和江の手記。旧西福岡高女の学校動員の様子(証言)。東入部の出光航機の動員(証言)。
④空襲 福岡空襲の一部ではあるが、この旧早良郡でも被災地は多い。被災地の状況、被災証言。石窯に疎開していた俳優米倉斉加年少年の絵本など。
⑤慰霊碑 各校区・町内で建立された。軍隊と出征地の概要。地図に場所を示し、慰霊碑の写真や、背面に刻まれた戦死者、年齢、戦死場所等を転記して掲示。
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<福岡大空襲について>
1945年(昭和20年)、6月19日から翌日の20日まで、アメリカ軍による空襲で、福岡市が標的にされ1,000人以上の市民が犠牲になりました。(行方不明・死亡)
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